トラスト通信100号
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(1997年初詣:宮地嶽神社にて)(矢羽田社長)(大津取締役)― 会長が、ですか?矢羽田 そうなんです、とてもこまめに帳簿をつけられていました。松浦 それで忙しくなってきたころに、経理拡充のため矢羽田社長が入ってこられたんですよね。― 矢羽田社長はどういう経緯で入社されたんですか?矢羽田 当時、活性炭をつくる会社の経理を担当していました。ジェトロの表紙に載るような会社だったんですが、資金が足りなくなったため、出資者を探しているときに会長に出会い出資してもらいました。結局その会社がうまくいかず、解散のような状態になったときに、会長から呼んでもらい、入れていただきました。― 大津取締役は?大津 東洋マネージメントのあるABS時代に、アルバイト2号生として大名の駐車場に勤務していました。4年生の就職時に会長から「お前来ると?」と聞かれ、「行きます」という感じでそのまま入社しました。私は、ピーエムトラストに入社、河邉取締役は東洋マネージメントのマンションのほうでした。― ここからは、会社のことについてお尋ねしたいと思います。まず、「設立の日」というのはどうでしたか?山川 設立の日は、宮地嶽神社に行きましたね。お金なかったですけど。お祓いというか、きちんとしてもらいました。祝詞みたいなもの。 あの頃から、月に一回か二回は決起会のようなことをやっていました。那珂川の中華料理屋さんの二階などで。その頃から、朝礼もそうですけど締め会とか節目を大事にしていました。月初は必ず会議をして、昼からみんなで愛宕山に行ったり。初詣は宮地嶽に行って、マンションのところでたこ焼き食べたりしましたね。― どのような思いで、会社を設立されたのでしょうか?山川 正直な話、ご飯を食べるのが精一杯でした。生活を何とかせないかん、というだけでした。山川 でも、その頃からいつも会長が言われていたのは、自分たちが働きやすい職場、社員のための会社にしよう、ということでした。― 創業期にたくさん思い出があると思うのですが、一番楽しかったことは何ですか?山川 大げさかもしれないですけど、毎日充実してましたね。毎日が楽しかったです。きつかったですけど、あんまり嫌なことはなかったですね。矢羽田 お金はなかったですね。給料も分割でもらったり。山川 役職者の給料をカットしたり。河邉取締役は電気止められたことあったよね。(笑)河邉 月の光で生活しました。山川 でも、会社を辞めようとかいう気持ちにはならなかったですね。会社が、仲間が好きだったんでしょうね。― 一度も迷いはなかったですか?山川 いや、辞表出したことあります。だけどそれは、お金がないからではなくて、会長と営業の方針が違ったりとか。今ではよく分かるんですが、朝礼で言われたことと終礼で言われることが違うので、「朝言ったことと違うやないですか!」と言うと、会長は「一日中会社のことを考えているんだから、朝正しいと思って言ったことも、夕方になるとお06

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