トラスト通信100号
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1994年夏:第1回目キャンプカシャッカシャッ09きない代わりにキャンプで集まろうと。山川 昔はみんなでスポーツをやったりして和を重んじるようなことは多かったね。節目の食事会や決起会をやったり。必ず第一営業日は締め会やってたね。原 お金ないのに締め会していいのかな、とか思いながら参加してた(笑)山川 その日は朝から会議して、昼からみんなでレクレーションして夜は食事に行くという一日でした。月一回のそれがとても楽しみでしたね。 当時私は出向していて他の会社にいたので、その日だけは自分の会社に帰れる!とめっちゃ嬉しかったね。原 いろんなことあったけど、振り返ってみると楽しかったね。その時はコノヤロー!と思ったようなこともね。山川 さっき「楽しかったことは」と質問されたけど、楽しかったことはあまり覚えてないね。創業した頃からの行きつけの『五十三萬石』という焼鳥屋に行くと、昔の大変だった話のほうが笑えるもんね。矢羽田 そう、自分が入院してるときにさ・・・山川 これすごい話ですよ(笑) また月末に、例のごとく会社に来なくなって。矢羽田 風邪ひいてたんだよ。山川 それで、会長から言われて電話してみると、矢羽田社長のお姉さんが出られて「肺炎で緊急入院しました」と。矢羽田 風邪をひいて四日くらい休んでたんだけど、熱が下がったかなと思って出社したんだよ。そして客先に行った帰りに、やっぱりこれはいかんと思って病院に行ったら即入院。山川 それで会長と一緒に病院に行ったんだけど、個室で点滴をしていたから、先生から面会をやめてくださいと言われて。 その時お金がどこにあるか分からなかったから、少しだけ会わせてくださいとお願いしたんだよ。だけど、「矢羽田さんは、今大変だから遠慮してください」って言われてね。そしたら会長が「矢羽田も大変かもしれないけど、会社も大変なんです!」って。それで何とかちょっとの時間だけ許可をもらってね。資金繰りの相談をさせてもらいました。矢羽田 点滴うちながら、電卓たたいてたね。山川 あのときの名言、胸に刻みましたね。「矢羽田も危ないが、会社も危ない」って。(笑) 考えたら、会長が僕らに「創業社長という強い気持ちを持て」と言われるやないですか、それ分かりますもんね。今だったら、明日にしようか、ってなったかもしれない。でもあの時は必死だったから強引に入っていきましたもんね。矢羽田 河邉取締役が出張で沖縄に行ったときに、台風が来て帰れなかったときあったよね。普通は心配で電話するけど、「お前チャンスやないか。ホテルから電話営業せえ。」とか。河邉 飛び込みで営業に行ったけど、びしょ濡れになって。心が折れました。矢羽田 出張行ってお金がなくなったから送ってくれ、とか。山川 河邉取締役と鳥取に出張に行って、お客さんをずっと待ってたけど二十二時になっても帰ってこられなくて。ビルの管理人から閉館しますと言われ仕方なく出て行こうとしたときに、ガラス戸に気づかずぶつかって怪我をして、「ふざけるな!」とガラスに向かってキレたり。矢羽田 いろいろあったねぇ。山川 すぐに決まった契約は覚えてないけど、そういうことは覚えてるね。原 苦労してとった契約は思い出深いね。半年かかってとった契約があって、その物件は何回も役員会で検討してもらったりしていろいろ言われたけど利益を出すことができて。嬉しかったね。― 楽しい話は尽きませんが・・・。最後にお一人ずつ、若手社員にメッセージをお願いします!河邉 自分もそうでしたが、今回ビジョナリーカンパニー(※2)の勉強会でも再認識することが出来たことが、「何がしたいか」というよりも「誰と仕事をしたいか」を見つける事が大事だと思います。仕事の仲間って、友達や家族よりも一緒にいる時間が長いので、「尊敬できる人」

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