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社長から今伝えたいこと、――高校時代の松井秀喜選手はいかがでしたか。いまでも忘れられないのが、入学した日、「おめでとう」と言って握手した時のことです。手が象の皮膚のように硬くひび割れていたのです。ちょっとやそっとの素振りではああはなりません。こいつ、どんだけ練習してんのや、とこっちが驚くほどでした。才能もあったけど、才能を生かすための努力を怠りませんでした。それにご両親もしっかりした方々で、三年間で松井の両親と話したのは三回しかないんです。まず入学に際して「よろしくお願いします。」ドラフトの時、「先生、相談に乗ってやってください。」そして卒業の時、「三年間どうもありがとうございました。」の三回です。野球部の中には「監督さん、なぜうちの子を試合で使ってくれないの?」「なんでうちの子ばかり叱られるの?」と言ってこられる親御さんもいますが、松井の両親は一〇〇%息子を信じ、学校を信じてくださっていたから、一切口出しはなさいませんでした。――松井選手とは今でも親交があると伺っています。義理堅いから、こっちに帰ってくると必ず挨拶に来るんです。で、来るたびに僕が読んで「いいな」と思った本を彼に渡しています。彼は高校時代、電車で一時間かかる町から通っていたのですが、行き帰りで本を読むように勧めました。最初は野球が上手くなってほしいから野球の本を読ませていましたが次第に『宮本武蔵』や『徳川家康』などの歴史小説を薦め、最後は中国の歴史書とか哲学書を読ませました。プラトンとかアリストテレスとか。本を読めば知識が広がるだけじゃなくて、集中力が高まるんです。それは打席に立って発揮する集中力に繋がるんですね。それに彼にはただのホームランバッターではなく、王・長嶋に次ぐ本物のスターになってほしかったから、「日本一のバッターを目指すなら心も日本一になれ」といつも言っていました。彼は最後の夏の甲子園で話題になったでしょう。――五打席連続敬遠されても、平然と一塁に走っていった試合ですね。実はあの前年、高校選抜で一緒に台湾に行ったんです。現地の審判だから当然台湾びいきで、顔の前を通ったような球もストライクにする。松井は頭にきて、三振するとバットを地面に叩きつけたんです。その時、「おまえは日の丸をつけて来ているんだ。石川代表じゃない。球界最高のレベルを目指すなら、知徳体の揃った選手になれ」と懇々と話をしました。――先生のお話を翌年にはしっかりと理解されていたんですね。ええ。彼がいた三年間は甲子園に連続出場できたし、最後の国体では優勝もしました。スケールの大きな夢を追いかけた楽しい三年間でした。「一流たちの金言」(致知出版社)より抜粋。「日本一のバッターを目指すなら心も日本一になれ」 松井秀喜の才能を花開かせたものトラストパークの企業理念にもある人間性を高める事へ繫がるように、社長がみなさんに伝えたい言葉等を題材にとりあげております。山下智市茂(星陵高校野球部監督)2

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