トラスト通信100号
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(2006年12月:福証Q-Boardに上場)08― 十四、五年間は大変だったんですね。大津 機械が買えなかったので、レンタルをお願いしてました。そういうシステムはなかったけど何とかお願いして。原 できる限り自分たちでしてましたね。大津本部長と二人で大阪まで走っていったり。山川 日曜日は駐車場の掃除とかされてましたもんね。原社長がゴミ拾いをされてました。ホントに、お金と信用で苦労しましたね。東京とかお金借りられなかったですもんね。原 逆に言うと、その頃は赤字の物件はほとんど無かったです。絶対利益を出さないといけなかったから。山川 利益が上がらない物件でも何とかして上げてましたよね。気合いで。矢羽田 死ぬ気でやってたもんね。山川 だから会長は、今でもそれを言われるんですよね。これぐらいでいいということはないと。当時はこれぐらいでいいなんて無かった。出さんといかん!という感じです。原 だから、短期物件がとれて利益が出たときには本当に嬉しかったよなぁ。― そういうことをくぐり抜けて、ついに上場にたどり着いたわけですが、どういう気持ちでしたか?山川 むっちゃくちゃ嬉しかったですね!原 現実という感じがしなかったです。山川 会長から「上場するぞ!」「そのために、売上三〇億ないと相手にされん」と言われて、三〇億までつくろうと。矢羽田 平成十三年から五、六年必死にやったんだよね。 その頃、主幹事だった証券会社と打合せなどやってたけど、相手にされていないと感じて、別の証券会社に変えました。原 まぁ、上場するって話が出たときも、「はぁ?」「一体どうやって?!」と想像もつかなかったよね。山川 上場して仕事がしやすくなりましたね。だから、一部上場となれば一層そうなるのではないかと思います。今でも、営業の際に「九年前にQ-Boardに上場し、三年前にマザーズに上場しています」と話すと反応が違います。原 「ピーエムトラストです」と営業に行っても「何の会社ですか?」って聞かれてたもんね。― トラストキャンプの歴史も教えていただけますか?どういう風に始まったんでしょうか?山川 始まったのは平成六年から?原 キャンプは何で始まったの?山川 会長が「キャンプするぜ」と言われたからですかね。主旨は特に言われなかったけど一致団結しようということだったのではないかな。場所は初回から椿ケ鼻でした。川で魚とったりしてから、キャンプ場に上がってました。初回は男だけだったので、結構飲んで。鉄板に手をついて火傷してしまったり、転んで膝を切ったメンバーもいましたね。原 昔は全員バンガローに泊まれていたよね。― その後、中止などはなかったんですか?山川 一度もなかったですね。上場前のお金がないときに、再構築委員会というのがあって、経費を削ろうということになりました。会議のなかで、「キャンプは中止にしてください。そんなお金ありません。」と言われたんです。 ですが、その時に会長が「キャンプだけはやめん。他は削ってもいいけど、キャンプだけは削れない。これは思いがあってやってるから。」と。山川 今は、社員も増えてコミュニケーションを図って欲しいというのがあるんじゃないかな。矢羽田 同期でもなかなか会えないしね。山川 先日も、会長が言われてましたけど、「社員みんなに楽しんでもらう場やけん」って。「僕らがおもてなしするくらいの気持ちでせないかん」と。原 みんなが会う機会がないということと、特に駐車場事業というのは休みも取れないじゃないですか。一年に一回くらいだったら調整して集まれるのではないかということで、慰安旅行がで

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